『好きな人には一日でも長く生きていて欲しい』・・・誰もがそう思う。
その生きると言うことが・・どういう事なのか?
何をもって生きていると言うことができるのか?
限りある生の中で本当に生きていると言うことがどういう事なのか?
仙台で在宅医学会での発表の中に生存期間の調査があった。
生存期間の長短が良かったのか悪かったのか?
『そう言う問題では無い』と車いすに乗った医師が発言した。
『私は障害がある。生きている期間が問題ではない。天井を向いて寝かされてしまっては生きているとは思えない。
歩けなくても座りたい。点滴はしないで食べていたい・・そう言うことが生きていると言うことだ。期間ではない!』と。
医療とは・・・何を言うのか?
「病気」を治すことはもちろんだが、治らない病気もあり、「老い」はくい止められない。
治らない「病気」を放置することはできないし、「老い」を放置はできない。
放置できないものに対して、病院で“治療に専念する”ふりをしてはいけないのだ。
大事なものを忘れてはいけないのだ。
長野県の農村で診療所が病院になったところ、在宅死が減ってしまったと言う。
病院死が増えたという。
アンケートをとると在宅死を望む人が多いのに・・在宅死が都市型医療になると消滅してくる。
住み慣れたところで、愛する人に囲まれて死にたい人が多いのに、家族は病院に入れる。
「死」が身近でなくなったから・・日本人は「生」を大切にしなくなり子供を産まなくなった。
「死」を意識することが「生」を大切にすることに繋がるのは間違いがない。

コメント
コメント一覧 (3件)
Quality of Life(生命の質)ですよね。
実習に行って、患者さんが「早く自宅へ帰りたい」という言葉を聞ききました。
ただ生きている・・・でも、植物人間になった場合、家族の人にとってはそこで息をし生きていてくれるだけでうれしい存在である場合もありますが、一般的に、単に施設に入り、寝たきりでなくてもすむのに寝たきり状態が作られていく現状もあるわけで、それは患者本人にとって患者が望む「生」ではないかもしれないですね。断定できないのは最終的な決定はその本人にしかできないと考えるからです。
いかにその人が行きたい生を生きるかを支えられる環境作りができればいいですね。病院での死よりもやはり、在宅での死を望む人が多いと思います。私は死の先刻があったら東南アジアに行って、思う存分そこで生きて死にたいかも。
そうですね。東南アジアですね。
僕はどこかな?
まだ決めていないですね。
静かな海の見える場所がいいかな・・・
よく聞く言葉に海の見える近くで死にたいってあるよね
海と(水かな)生、死ってなにか関係あるのかな
生かされてるって言葉実感こもってますよね
たしかに患者と家族間のギャップが問題なんじゃないでしょうか?
在宅死ぬことって永遠のテーマのような気がする
簡単なようでむっちゃむずかしい…