人生は・・・・・飛行機の飛行にたとえることができる。
誕生が離陸ならば、死は着陸である。
順調な飛行は若さ、高速巡航は健康な証(あかし)。
しかし、乱気流に巻き込まれたら・・病気か怪我がおきたこと。
そして、老いはそろそろ着陸態勢に入ること。
誰しもが、軟着陸を願う。
ハードランディングは避けたい。
ソフトランディングを願う。
しかし、美しいソフトランディングは難しい。
だれが、それを行うか?
パイロットは誰にゆだねるか?
老衰の定義、老衰の診断は難しい。
90才代になって弱ってくるとそう考える。
しかし、純粋に老衰で死ぬことは難しい。
死因を突き詰めると肺炎だったりする。
現在の医学医療は、このような事態を解決することができる。
感染症は治せる。
食べなくなると、強制栄養で生きながらえることがしばらくはできる。
しかし、認知症は治せず、細胞の衰えや免疫力を回復することは難しい。
DNAに組み込まれた老いや細胞死は避けられない。
人生の終末期において、医学医療が軟着陸を妨げる結果になることが多い。
家族は着陸して欲しくないから、飛び続けて欲しいから、医者にすがる。
こんなに弱ってきたのに・・何もしないでみていられないと・・すがる。
すがらなければ、自分たちのこころが許されないのかもしれない。
死は怖いものではなく、だれにでも訪れる自然なものであるはずなのに・・
大勢の老人の死を看ている看護者、医師は気づいている。
何故、こんな無意味なことをして苦しめるのか?
早く静かな軟着陸をさせてあげればいいのに・・・・と。
そこにはもう当の本人の意志はないのだ。
美しい死を!
望ましい死を!
死を迎えつつある老人に医学医療が邪魔をしてはならないと思う。
そのことに人々は気づき、自分の死もこうあって欲しいと正常な巡航時に意思表示しておくべきだと思う。
家族に任せるのではなく、家族に意思表示しておくべきなのだろう。
ハードランディングやダッチロールはだれも望んではいないはずと思う。

コメント
コメント一覧 (2件)
この文章は沢山の人に読んでいただきたい文章です。
もし差し支えなければ私の日記に引用してもよろしいでしょうか??
ikellさん、結構ですよ。
よろしくお願いします。