在宅ターミナルケアの記録より
27才の女性 職業:医療事務
2001年2月11日結婚。子供はいない。
2002年2月12日永眠。
当院に至るまでの経過:
数年前よりよく胃が痛いといって近医を受診したりしていたが異常は指摘されなかった。
2001年5月頃より心窩部痛に気づき、近医受診し内視鏡を受けたところ、進行胃ガンと診断され某大学病院内科に紹介入院となる。
【ボルマン4型進行癌でStage4、癌性腹膜炎】の診断で、本人に告知。
治療として化学療法を行っていたが姑息的手術を行うこととなり7月23日転科、7月30日手術施行。(胃全摘出術+D2、Roux-Y再建、脾臓・膵尾部合併切除、横行結腸部分切除)
術後吻合部狭窄をきたしバルーン拡張術施行。また胃癌に対し化学療法も行ったが本人の強い退院希望があり9月21日退院。
その後外来通院中、骨転移が発見され放射線療法のため同院消化器外科へ12月15日入院。
放射線療法施行中、腸腰筋前膿瘍形成しドレナージで軽快。
しかし腰椎転移部の病的圧迫骨折発症し下半身対麻痺となる。
その後、るいそう進行し腸閉塞状態が続き、腸液・胆汁の嘔吐がありこれを誤嚥して肺炎も発症。
骨転移の痛みに対してはモルヒネの硬膜外持続注入施行し効果を得ていた。
何とか小康状態になったが『余命1ヶ月』との説明があり、本人は自宅で最期を迎えたいと希望される。
家人も本人の希望を叶えたく、次男より1月29日当院診療所の在宅部へ電話相談があった。
当院での経過;
2002年1月30日(水曜日)午後4時半;診療所外来診察室にて、兄(次男)と母親に対し、僕と在宅部婦長が面談する。
『本当に在宅で看取る覚悟がおありかどうか?急変時に救急車を呼ばない気があるかどうか?最期は家族で看取ることを想定して
ほしいこと、医師の到着は事後になる場合が多いこと。入院中のように医師や看護婦が頻回に行くことはできないこと。』などを説明した。
『正直不安でいっぱいでどうして良いかわからないことばかりですが、頑張って看てやりたい。』とのことで当院を頼って来られており引き受けることにした。
前医某大学病院外科の主治医と電話で相談、打ち合わせを行い2月1日(金曜日)に退院し同時に往診を開始することにした。
1月31日;在宅部スタッフ全員と薬局長にてカンファレンス実施。
症例の紹介と医療行為の点検と準備、往診と訪問看護の体制の打ち合わせ、ケアの要点などを話し合った。
また、関連部署への申し送りを書面にて配布した。
2月1日(金曜日)退院時に合わせて初回往診
前主治医、副主治医が付き添って退院。自宅で本人・家族の前で引き継ぎ、申し送りを受ける。
これからの担当医、訪問看護婦の紹介。前主治医とのお別れをされる。
前主治医との信頼関係は厚かった印象。
その後、本人と家族にそれぞれの処置について説明をする。
具体的には、
1、栄養管理(IVH)について、
2、酸素吸入について、
3、疼痛管理(硬膜外持続モルヒネ注入)について、
4、喀痰、胆汁の吸引(吸引器使用)について、
5、膀胱内留置カテーテルについて、
6、褥瘡処置について、痛み時の頓用点滴(ロピオン)について、
7、不眠時の頓用点滴(ロヒプノール)について
訪問看護:これらの必要物品を訪問看護婦で搬入し家族に説明し練習してもらう。
2月2日(土曜日)訪問看護
本人は胆汁嘔吐、げっぷが出ない、痛みが少し出てきた。
家人はいろいろな処置にとまどい、慣れようとされるが・・『何ができて何がわからないのか?がわかりません』と。
2月3日(日曜日)
2月4日(月曜日)往診
2月3日より背部痛が増強し発熱あり。頓用のロピオン、レペタン座薬が効かない。SpO2の低下あり酸素増量。
問題点として疼痛コントロール不良、発熱、不安の増強という評価で、硬膜外モルヒネの増量を指示。
発熱にはボルタレン座剤を挿入し発熱時使用することにした。感染症(肺炎?)も疑われるので抗生剤の使用も考慮した。
2月5日(火曜日)往診
腹痛増強、息苦しい、不安で眠れないなどの訴えがあり。
硬膜外のモルヒネを増量。痛みに対して不安があるため『効かないと決めつけないように。痛くないようにきちんとするから大丈夫!』と説明し安心させる。硬膜外チューブが効いてきたのか、いろいろ説明しているうちに安心したのか急速に痛みが改善した。
2月6日(水曜日)訪問看護
嘔吐物誤嚥する。激しい咳。吸引するも十分引けず。
腹痛、背部痛は取れている。
看護婦の『今何が一番したい?』との問いに、『何がしたいんでしょう?日々暮らすのが精一杯です。』と笑顔。
グリセリン浣腸30ml施行。
2月7日(木曜日)訪問看護
訪問するなり『しんどい、息苦しい』と訴える。
38℃を越す発熱がある。
家人も夜間眠らずに交代で看病し疲れている。ボルタレン座剤挿入。
2月8日(金曜日)往診
『息苦しい、何とかしてください!』と手を握りしめる。
発熱持続し誤嚥性肺炎の疑いが強く、呼吸苦を取り除くため抗生剤(ロセフィン)を開始する。
不安が強く呼吸苦を増悪させていると判断し、アタラックスPを筋注使用したところやや落ち着く。
IVHの中にセレネース1A 混注し、不安時には生食100ml とアタP1A点滴するように家人に説明。
2月9日(土曜日)訪問看護および往診
『息苦しい、咳を止めて欲しい』と訴える。
IVH刺入部より点滴漏れを発見。急遽往診となる。
喘鳴あり、点滴漏れは体動によるIVHカテーテルの自然抜去と判明し急遽IVHを左大腿静脈より入れ替えを行う。
ネオフィリン、ソルコーテフの点滴を施行。
帰るとき自宅の外で母親に病状説明。『誤嚥性肺炎の悪化でここ一両日が峠です』と説明する。
主治医の携帯電話番号を教える。『何かあったらいつでも電話してください』。
土曜日でもあり、主治医が間に合わないときのため、日当直医宛の【申し送り、お願い】をカルテに記入。
2月10日(日曜日)午前7時半頃
母親から『苦しがっています。どうしたらいいでしょう?何か指示していただけませんか?』と携帯に電話あり。
午前8時半往診
ネオフィリン、ソルコーテフを持参する。
呼吸苦を強く訴える。
肺炎をおこしていること、肺炎のための息苦しさであること、その治療のため抗生剤を使用していること。
気道も狭くなっているので気管支拡張剤を使用していくこと。などを説明する。
『息苦しいのを楽にする薬は他には無い。安定剤で眠ったら苦しさを感じなくはなるが・・・』と説明したところ、『苦しまずに死ねるようにしてください。お願いします。約束してください。きっと・・・』と懇願される。
『苦しいと家族と話す余裕もない』『病院と家を比べたら家の方がいいけど、苦しいのは同じです』『どうしたらいいの?明日になったら楽になる?もう近いですか?』など聞いてくる。
『一日一日が大切だけど、苦しいのは辛いね。家の人も先生も辛い。けどこれ以上のことはできない。いつになるかは誰にもわからない。神様だけが知っている。死ぬのはみんな死ぬ。ただ順番が大幅に狂っただけだね・・』と応える。
ホクナリンテープ処方。
2月11日(月曜日)建国記念の日
再び早朝に母親から携帯に電話。
『苦しがっています。息が苦しいと言って先生に来て欲しいと・・申し訳ありません。』
午前8時往診
昨日よりも苦しいと訴える。リザーバーマスクにしようとすると激しく抵抗。
『怖いから止めて!』『眠らせてください』『楽にしてください。約束通り・・・』
『家族のみんなは了解されましたか?』→『わかってくれている。もう十分話しました。いいでしょ!お母さん!お兄さん!私の命は私のものですから。誰も恨んでなんかいませんから。お願いします』
夫、家族全員が揃われる。家族はみんな泣きながら了承される。
生食100mlとセルシン1Aをゆっくりと点滴開始約15分目くらいから入眠。
声をかけると『楽になったよ。』と返事する。
点滴を止めると醒めて苦しがるため、病院に帰り、シリンジポンプで10mg/hの速度で持続注入し持続睡眠状態とする。
家族も安心される。
午後9時往診
セルシンの交換を行う。本人は呼びかけには応える程度の傾眠状態。
『眠れたよ。少し楽・・・』と言ってまた眠る。
2月12日(火曜日)
『今朝6時48分頃呼吸が・・・止まりました・・』と次男より携帯に電話あり。
すぐに駆けつけ、7時25分死亡確認する。安らかな寝顔であった・・・
昨日が結婚記念日であった。
僕はこの患者さんを一生涯忘れることはないだろう。

コメント
コメント一覧 (3件)
後悔日誌お読みいただきありがとうございました。
かつて、私は祖母を大腸がんで亡くしました。
気が付いたときはすでに刻遅く・・・。
なるべく家にいたいと祖母の希望で怒濤の通院生活が始まりました。
気の強かった祖母も人工肛門で排便する度に
「臭くなるから辛抱してね」
と申し訳なさそうに家族に告げる毎日。
「誰だって排便はする。」
と父の提案により、そのころからウチのトイレから扉が撤去されました。
末期にさしかかり祖母も入院し家に帰るも2~3日で再入院。
それでも近縁の業か、散々毒づいてきたお互いの後ろめたさか、
少しでもそばにいたいと私も家族もそして祖母も、
体当たりで泣き笑いの日々を過ごしていたように思います。
今思えばそういった場を病院が演出してくれていたのかもしれません。
看護婦さんや主治医の先生まで一緒に笑っていました。
母は「不謹慎」と一度父にこぼしたことがありましたが、
父は「先生方は俺達よりずっと死を身近に日々を送っているのに、不謹慎であろうはずがない」と母を諭していたのを思い出します。
これからも様々な困難があると思いますが、
負けながら、乗り越えながら、頑張ってください。
駄文をお褒めいただきありがとうございました。
かなり恥ずかしい気持ちです。
ご家族の温かい繋がりが見えてきて、きっとおばあさんはしあわせだったと思います。
家に少しでもいたい。家族といたい・・・という気持ちを大事にできて良かったですね。
僕はたくさんの人と出会い、別れて行きました。
精一杯の生き様をたくさん診てきました。
これからも、そういう出会いと別れがまだまだ続きそうです。
だから決して後悔したくないと思います。
果てしない航海はするけど、後悔なしで行こうではありませんか!
ひとつひとつを肯定して、これで良かった!と思える航海をしましょう!
Mrのページをリンクさせてください。
リンクありがとうございます。
人一倍生と死に近い場所で生活していると、
生きるということに対して様々な価値観を見いだしている事と思います。
その1ページ1ページを公開していくことは、
決して無駄なことだとは思えず、むしろこのブログによって、
様々な価値観とのリンクが広がるように思えます。
それはwwwな物だけでなく精神の繋がりなのかもしれません。
ぜひこちらもリンクを張らせていただきます。