あれは今から12年前の初夏。
僕は大阪の総合病院に勤務していた。
関連病院の患者が吐血をしているという連絡が入った。
肝硬変があって食道静脈瘤からの出血らしい。肝不全もあるらしい。
的確な治療は、内視鏡的食道静脈瘤硬化療法である。
僕は関連病院にそれを指導すべく呼ばれた。
助手となってくれる消化器研修医を一人同行して、行くことにした。
阪神高速湾岸線を飛ばせば30分で行くだろうということで、彼が自分の車を運転してくれるというのだ。
さっそく、道具一式用意して、これに乗り込んで向かった。
研修医の車はくたびれていた。
『だいぶん年季が入ってるねえ~』と思わず言ってしまった。
平日の午後の湾岸道路は大型のトレーラーが走っているくらいで空いていた。
雨上がりの日差しが濡れた路面を照らしてまぶしかった。
この運転手は、その頃、自分の進路について悩んでいることは上司として知っていた。
仕事中も少しいらいらする様子もあって不安に思っていた。
だからなのか・・・かなり飛ばすのである。
『タイヤは大丈夫?』と聞いた。
『いいえ・・かなりすり減っていると思います』と言う返事であった。
妙な胸騒ぎを感じた。
その頃はシートベルトをする習慣は今ほど身に付いてはいなかったが、着けた方が良さそうだと感じた。
『ちょっとこわいから着けさせてもらうよ』と断って着けたら、彼も『そうですね・・僕も不安です』と言って着けた。
その数分後であった。
大きなトレーラーをゆるいカーブで追い抜きにかかったところで路面が濡れていたためか?タイヤが踏ん張れなかったのか?
大きな車のサイドの乱気流のためか?
ポンコツ車はス~ッとトレーラーに吸い寄せられて、やがてスピンを始めてしまった。
まったくコントロール不能となった。
青い空が・・メリーゴーラウンドのように回った。
頭が前後左右に大きく振られた。
振られる内に路側帯のコンクリート壁にぶつかっては跳ね返って、またぶつかった。
ぶつかるたびにガラスが割れて飛び散った。
長い長い間・・・まるでスローモーションのように、走馬燈のように回った。
やっと止まったと思ったとき・・大きな黒い物体が目の前に迫ってきた。
何がやってきたのかわからなかったが、もうこれで死ぬんだと思った。
・・すべてが静かになった。
ようやく、重大な事態が起こったことに気づいた。
脱出しなければ、火を噴くかも知れない・・と感じた。
彼も意識があった。
ドアを開こうとしても開かない。
やっと一枚のドアから脱出できた。
そこへ、作業服を着たトレーラーの運転手がつかつかとやってきて言った。
『あんたら、運がええなあ~。わしはさっき鋼材をなあ~、全部下ろしてきたばかりやった。もし、あれ積んでたらこの距離では止まれんぞ~。あんたら・・命拾いしたなあ~』と言って無傷のトレーラーを運転して去っていった。
二人は呆然として、立ちつくした。
僕は頭に大きなコブを一つ作っただけで彼は無傷だった。
しかし、彼の愛車は原型をとどめていなかった。
現在、彼は出世をして、某国立大学医学部の第一内科教授になっている。
これが、僕が死にかけた2回目の思い出である。
もし、シートベルトをしていなかったら・・・
もし、トレーラーが鋼材を満載していたら・・・
僕たちの命は無かっただろう。
奇跡としかいいようがない。


コメント
コメント一覧 (1件)
まさに九死に一生を得たという感じですね