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娯楽荘

娯楽荘・・・古くて、くたびれた、木造の2階建てアパート。

笑ってしまいそうになるが・・懐かしい名前である。
僕は大学生活の最初の2年間をこのアパートで暮らした。
住人は学生が多かったが、変なのもいた。
夜・・暗くなると庭で日本刀(真剣らしい)で居合い抜きをやり始めるのだから怖い。
その住人が隣人だった。

どの部屋も6畳一間の畳部屋で入り口にちょっとした板場があるだけの部屋である。
高校の時に父の経営する農機具会社が倒産したので・・僕は貧しかった。
奨学金と家庭教師のバイトとわずかな仕送りで生きていた。
家賃は4500円だった。風呂は無くて、トイレは共同だった。
幸い隣に銭湯があって、わずかなお金で入ることができた。
僕の部屋は2階の角部屋で日当たり良好だったから、布団干しが良くできて気持ちよかった。

鍵は適当に住人が自分でつけていた。
僕の部屋は3つの数字を合わせたら開くやつだったから、番号さえ知っていれば誰でも自由に入ることができた。
部屋には電気こたつのテーブル、木の机、押入には布団一式と衣類があるだけで、唯一の贅沢品はステレオだった。テレビは無かった。
大学のすぐ近くにあったから、友人が勝手に入り込んでいることもしばしばであった。
定期試験の休み時間などにはたまり場になったし、ある時は麻雀荘になった。
夜中に酔っぱらった友人が転がり込んで来ることもあった。

僕の唯一の贅沢はステレオで音楽を聴くことだった。
クラッシックを良く聴いた。さみしいとき・・悲しいとき・・勇気を出したいとき・・癒され、励まされた。
住人がいない昼間は結構大きな音量でかけても苦情はでなかった。

コンビニなんか無い時代だから一日2食で・・いつも近くの学生食堂か生協食堂で飢えを満たしていた。
いつも空腹で・・やせ細っていた。
「太った豚より痩せたソクラテスになれ」とやせ我慢していた。
検診を受けたら貧血があると言われたこともある。
国立大学医学部の授業料は今から想像できないほど安く、確か年間12000円だったと思う。
友と哲学論議することもあり、また馬鹿な話をすることもあった。
自由だった!

行きつけの食堂にいた、アルバイトのウエイトレスに恋心を抱いたが・・何度か通って、打ち明けたら、後輩と付き合っていることがわかった。
激しい嫉妬と悲しみにうちひしがれ、この部屋でブラームス(交響曲第3番3楽章)を何度も聴きながら、涙した。

一階の角に管理人のおばさんが住んでいた。
ころんとしたよく肥えた人で、一人暮らしで九州なまりでゆっくり話す人だった。
膝が悪いのかびっこをひいていた。アパートの管理と子供向けの駄菓子屋をやっていた。
白い大きなかっぽう着が目に浮かぶ。

あの頃のあの場所はどうなっただろう?
もう・・あるはずもないが・・懐かしい娯楽荘に行ってみたい❗

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