もう17年くらい前のことになる。
夏休みに田舎の実家に家族みんなで帰省した時の事である。
実家には老いた両親しかいなかった。
二人とも元気そうであった。
しかし、母が『最近肩が詰まってしかたがない』と言うので、
『何だ肩こりか~揉んでやろうか~』と言って肩に何気なく手を置いた・・
左の鎖骨が異常に腫れている。
目の前が暗くなって、冷や汗が出た。
言葉に詰まった。
どこかから転移してきた転移性骨腫瘍を疑った。
次の日、近くの友人がいる整形外科へ連れて行った。
やはり転移であった。鎖骨のレントゲン写真の陰に肺ガンが写っていたのだ。
良く聞くと昨年、町内の検診で胸のレントゲンを撮ったあと保健所から再検査を勧められ、近くの高齢の開業医さんへその写真を見せに行ったらしいが・・
『心配はない』と言われ、そのままにしておいたらしい。
そのことは僕には何も言わなかった。しかし、僕がもっと注意していれば・・
何という親不孝者か・・と自分を責めた。
数日後、先輩の呼吸器専門医がいる病院で検査入院をした。
診断は『進行肺腺癌、骨転移』で手術は不能。抗ガン剤は無効。
抗ガン剤を使用してもしなくても予後に有意差は無いとのことであった。
つまり何もせず、このまま様子をみるしかないということであった。
母に真実を告げるかどうか家族全員で話し合った。
僕を除いて誰もが真実を告げることに反対であった。
父が『どうか言わないでやってくれ』と猛反対するので僕の意見はそれ以上通せなかった。
やがて肺内転移が進行し呼吸困難となって近くの病院に入院した。
『肺にカビがついてしんどくなっている』と苦し紛れの説明を、母は納得しなくなっていった。
『どうして大きな病院へ連れて行かないのか?』
『えいじは医者のくせに、どうして母親をこんなに苦しくなるまで放っておくのか?・・』と面会に行くたびに問いつめられた。
僕にはどうすることもできなかった。
ただ、母が平穏な気持ちで苦しまないで往生してくれることを願うだけであった。
きれいな花の挿絵がついた『星野富弘詩集』を持っていって、『これでも読んで・・』と言うことしかできなかった。
3時間くらいかけて週末は田舎に帰り、母のベッドの側にいてあげることしかできなかった。
行くたびに、息が荒くなり、やがて酸素吸入になり、ついに意識が混濁して・・ある日の夜・・逝った。
僕は、生まれてから一度も母に叱られた記憶がない。
いつもにこにこ笑っていた母。
いつも僕を許してくれた母。
そんな母が最期の最期になって・・
僕を恨んでいたのではないかと・・今も悔やんでいる。
いつも母の事を思い出して・・・『ターミナルケア』を考えている。

コメント
コメント一覧 (9件)
私も仕事をする時に、利用者の方が「もしも私の母親だったら
どうするだろうか。」と置き換えて考えることにしています。
そうすると、頑なな気持ちや、独りよがりの正義等が消えて
いくように思います。
ご自分のお母様を心に置いて診ておられるえいじさん。
みてもらえる患者さんはとても幸せだと思います。
後悔は、いつまでたっても消える事はないのかもしれませんね。
でも、そんな思い出が今のえいじさんの治療の姿勢を作られて
いるとしたら、それがお母様の最大の贈り物なのかな、、、
とも思いました。
ありがとうございます。
きっと・・その通りだと思います。
きっと。
専門職に就いたときから、
その家族は専門職の家族の恩恵と社会性の距離を
余儀なくされます。
医者は、家族の面倒は見られませんし
役者は親の死に目にあわないし、
教師は自分の子どもより他人の子どもの面倒を
見ることになります。
「医療の本質として、我々は告知を避けるべきではない」
これは専門職の見識です。家族の見識では有りません。
えいじさんの家族は、専門職としてのの家族よりより家族
の見方を優先しました。
えいじさんは、この時に医者では無く
我を忘れた、お父さんの子どもになったのです。
おそらく家族だから、見えなくなる事もあるのでしょう。
(また、少なくとも私の見方では医者と患者の信頼関係も
現在に至るまでかなり難しいものがありますことは確かです。。)
あなたの責任では有りません。
これは医療の問題ではなく家族の問題です。
あなたはおそらく、信頼できる先生です。
そして家族に対してはとても優しい人です。
でもやさしさは、時として悔いをのこすのですね。
私もちょうど母を亡くて17年目になります。
死ぬまで多くの人に慕われた教師でした。
とても嫌な医者でした。えいじさんのような
医者であれば良かったと考えています。
多くの人があなたを求めています。
ikellさん、ありがとうございます。
多くの患者さんを診てきて、痴呆もなく精神的にも問題の無い人には、
病状をありのままわかりやすく説明してあげるのがそもそもの
始まりで、医師ー患者、患者ー家族の信頼関係の要になると信じています。
研修医時代は悪性腫瘍の場合、患者本人にはありのままは説明しないことを上司より指導されました。それを実行してきて、多くの患者の不信感をみてきましたし、家族との絆も揺らぐことがあったりして・・
その後、山崎章郎氏の本を読んで、患者自身に知らせることの大切さを痛感するようになりました。
だから、母に言ってあげていたら、もっと家族の強い絆で母は安心して自分の事を受け入れられたと思うのです。
でも、もう終わったことを言ってもしかたがありません。
この経験によって、僕は患者さんやその家族に真摯に対応できるようになったと思います。
「母への懺悔」を読んで私も24年前に
亡くなった父を思い出しました。
父も近所の町立病院で診察してもらった際には
病名がわからなかったのですが、痛みに耐え切れず、
日赤病院に行ったときには転移もひどく、手遅れの状態でした。
でも、そこで、主治医の先生の献身的な治療に接して、私は
感動しました。
父には病名を告知せずに、闘病生活を終えましたが、先生が
父の病気に対する不安や後に残る家族への思いなど、全てを
受け止めて接してくれていました。
「告知」の問題は今でもわかりません。
父にとって告知したほうがよかったのかどうか・・
どうも書いているうちにまとまりがつかなくなってしまいました。
勝手なことを書き込んでごめんなさい。
そうですか、辛いことを思い出させてしまいましたね。
告知は何でもかんでも言えばいいとは思いません。
時期の問題もあるし、それまでの経過もあるので差し迫って苦痛がいっぱいの時には配慮が必要でしょう。
難しい問題で一律には決められませんが、人間の権利として自分の病状を知る権利はあると信じています。
医師としても、言ったからこそ、真摯に接することができます。
言わなかったら、じっくりと話を聞く余裕もできなくなるでしょう。
家族も同じだと思います。
24年前はそんな風潮はまず無かったですね。
最近では説明する医師は大変増えたと思います。
はじめまして。
Mr.の「公開後悔日々航海」から参りました。
えいじさんが彼のblogにコメントを残されていたその日から、
足繁く通わせていただいておりましたが、ご挨拶が出来ぬまま、
時間だけが過ぎてしまいました。
生死を通して、大勢の「人間」を見てきた方の言葉には、
言いしれぬ説得力や、深み、そして温かみがあります。
「生きた言葉」というのはこういう物だ、と今、ひしひしと感じています。
私も長年病気を患っており、通院を続けておりますが、
えいじさんのようなお医者様ばかりだったら、と思うこともしばしばです。
えいじさんに診てもらえる患者のみなさんは、きっと、
快復へのプロセスと共に、温かい気持ちも一緒に受け取って
いらっしゃるだろうな、と勝手に想像します。
えいじさんもご自身の不調で苦しい想いをされていると思いますが、
どうか、ご自愛下さい。快復を心よりお祈りしています。
えいじさんのお母様に対する想いに、心を打たれ、
我が家へリンクを貼らせていただきたく、書き込みを決心しました。
実は既にリンク済みなのですが、許可をいただけますか?
癒雨さん、ありがとうございます。
あなたのコメントにこそ感動しました。
僕はこの病気をしなかったらこういうBLOGをもつことも無かったと思います。
あわただしい仕事の中で、本来の自分を見失うところだったのかもしれません。
辛く苦しい季節の中で・・自分を見つめ直す良いきっかけになりました。
自分を、素直に、心の底から感じたことを言葉にしていきました。
それが、あなたのような方々に評価されて、正直とてもうれしい気持ちです。
リンク大歓迎です!
僕もあなたのページをリンクさせて頂いてよろしいでしょうか?
ありがとうございます。
こちらこそ、ありがとうございます。
冷静に自分を見つめ、判断し、歪めることなく表現できる人に、
私は憧れますし、それは尊敬にも値します。
その意味でも、えいじさんのblogに出逢えたことを心から嬉しく思いますし、
こうして繋がることが出来たことに、感謝もしています。
温かい言葉を、いつもありがとうございます。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。