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光輝く教え

景教とは中国語で光の信仰という意味であり、景教の教会を唐の時代、大秦寺(タイシンジ)という名称で呼んでいた。
京都の太秦は太秦と書く。点が無いかあるの違いである。
太秦を『うずまさ』と正しく読める人は少ないかもしれない。

太秦の中心にある広隆寺は有名である。
この近辺に『いさらいの井戸』とうものがあることは意外に知られていない。
また、近くにある蚕の社という神社には3本柱の鳥居がある。
こんな珍しい鳥居は他には無い。3本柱の鳥居を真上から見るとそれはダビデの星そのものである。
3本柱は神と子と聖霊を現している。
そして、その下には『元糺の池』がある。これは秦氏がここでバプテスマ(洗礼)を行っていたと考えられる。

毎年10月10日には『牛祭り』という奇祭が行われる。
去年は牛がいなかったらしく、また費用もかさむという現住職の判断で中止されたようだが・・
牛の上には白くて鼻の高いお面をつけた人が乗り、街を黙って練り歩くそうだ・・・
広隆寺に帰ると、なにやら訳のわからない祝詞をあげて、奇声をを発して境内に駆け込むというものだそうだ。
ウズマサとはアラム語でイエス・キリストがなまって伝えられたものだろうとする説もある。
また、ウズマサとは古代ローマ帝国を指すとも言われる。

431年、「エフェソス」で、宗教会議が開かれた。
「エフェソス公会議」で問題となったのは、「ネストリウス派」という宗派であった。
その名にあるように、コンスタンティノープルの総司祭「ネストリウス」が主張した説である。
その教義はこうだ。イエス・キリストには人間と神のふたつのペルソナ(人格、神格)がある。
また、イエスの母「聖母マリア」は、あくまでも人間であり、そこに神性はない。
・・・・このネストリウス派が東へ放浪を続け、たどり着いたのが日本だとしたら・・
司馬遼太郎も多いに興味をもって調べた。そして、『兜率天の巡礼』(ペルシャの幻術師内に収録)を書いた。

こうして、異端とされた原始キリスト教団が東方に向かい、唐で景教となって興隆衰退しやがて逃れて朝鮮半島を経て日本に渡来人としてやってきたのである。
渡来人は2万人規模だったという。当時の日本の人口は200万人だったとされるから、日本への影響は計り知れない。
フランシスコザビエルがキリスト教を伝来する1000年以上前に、すでにキリスト教徒が日本へ帰化していたのだ・・・
ロマンは拡がる・・・

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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 悠久の歴史にロマンが拡がりますね。
    約2万人の渡来人を暖かく迎え入れ太秦に住まわせた天皇。
    日本の象徴である皇室ゆかりの伊勢神宮の参道に並ぶ石灯篭には、ダビデの星が記されていることや、国宝第一号に指定された弥勒菩薩半跏思惟像(大陸から伝来?)が安置されている広隆寺は創建当時、秦公寺と呼ばれていたこと。そして、珍しい三本柱の鳥居の三角の一面は泰氏の古墳に面していること・・・
    湧き水が溢れる井戸は民族の起源。
    きっと、ユダヤと日本はとても深い絆で結ばれているのでしょうね。
    果てしないロマンが拡がるこのお話。
    私にも、レオン先生と同じ渡来人の血が流れているのかな・・・☆

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