岡田尊司著『パーソナリティ障害〜いかに接し、どう克服するか〜』(PHP研究所)を読んで。
はじめに
兵庫県では、この1年間に職員と議員が計3名も自殺している。異常な事態である。
『文書問題』から『一連の兵庫県問題』と言われ始めている。
長く勤務した県職員幹部(元播磨県民局長)が退職を間近に告発を行ったことから始まる。
公益通報は、組織の不正を正すために行われる非常に重要な行動である。
これまでの経緯
2024年春、ある兵庫県幹部職員(元播磨県民局長)が退職間際に行った公益通報から始まる。
一年間余のことは周知の事実なのでリンクを見ていただき省略する。
この中での中心人物は、斎藤元彦兵庫県知事である。
斎藤知事は令和6年3月27日の記者会見で、「事実無根の内容がたくさん含まれている。嘘八百含めて、文書を作って流す行為は公務員として失格」と強い言葉で批判した。
昨年の秋に不信任決議が全議員の賛成で可決され、県議会が退陣を突き付けた。知事は辞職せず失職の選択をとった。
しかし、立花孝志の2馬力選挙、メルチュによるSNS監修(公職選挙法に抵触する疑いあり)、斎藤元彦応援団による相手候補へのデマ攻撃、SNS妨害など数々の不正がなされた結果、111万票もの得票で再選された。
この間、百条委員会議長やメンバー議員への誹謗中傷攻撃が相次ぎ、竹内県議が耐えられず自死されるという痛ましい事件もおきた。
百条委員会や特別調査委員会の報告が相次いで出たにも関わらず、知事はそれらを一つの意見と言い、無視をしている。現行公益通報者保護法でも3号通報(外部通報)は保護対象になると消費者庁が明言するにも関わらず、無視しており、元県民局長の懲戒処分は取り消していない。
先日では、各新聞全国紙の一面に掲載されたことであるが、告発者のプラバシー情報を知事が指示して漏洩させた疑惑がある。それでも、知事は『指示はしていないと認識している』と言い張る。
この1年間、斎藤知事は定例記者会見には必ず出て、質疑に応じたが、応えにならない応えを続けてきた。
『真摯に受け止める』と空虚な言葉を繰り返し、『先日、申し上げた通り・・』などとはぐらかす。
いつも、きちんとした身なりで丁寧にお辞儀をする。
普通なら、夜も眠れず、食事も喉を通らないほどのストレスがかかるはずであるが、一向にへたらない。
Xでにこやかな笑顔の写真を投稿したり、浴衣姿の着流しスタイルであったり、武者姿で満面の笑顔で撮っている。(『斎藤辞めろ❗』という怒号が飛び交うデモの隣であっても、笑って手を振って武者行列を続けるのである)
この間の彼の言動を見てきて、これは健常者では無いと感じた。
自分にもこのような患者を診たことがあるからである。
精神科専門医では無いが、内科医として精神科に紹介したことがある。結局、その患者は『妄想性パーソナリティー障害』と診断されたのだった。長い臨床経験でもこの病名を聞くのは初めてであった。ショックでいろいろと勉強した。ネットで検索したり、YouTubeでの解説動画も見た。これは病気なのだろうか❓と思った。
本人が苦しんでいない、周囲が問題視しない場合は放置されるだろうと思った。『性格の偏り』ともとれるからである。
岡田尊司氏の書かれた本が最も参考となった。
この本から、推測すると斎藤元彦知事は『自己愛性パーソナリティー障害』がメインで、これに『妄想性パーソナリティー障害』が付随していると考えられる。
ちなみに、この本の巻末に自己診断テストがある。
やって見たところ、4項目以上で該当されたものがあった。
セクターⅢ『強迫性パーソナリティー障害』が4点で当てはまった。確かに、自分はこの性格にやや当てはまるかもしれない。
セクター | タイプ | 該当項目数 | 判定基準 | 判定 |
Ⅰ | 回避性 | 2 | 4項目以上 | |
Ⅱ | 依存性 | 2 | 5項目以上 | |
Ⅲ | 強迫性 | 4 | 4項目以上 | △ |
Ⅳ | 妄想性 | 0 | 4項目以上 | |
Ⅴ | シゾイド | 2 | 4項目以上 | |
Ⅵ | 失調型 | 1 | 5項目以上 | |
Ⅶ | 演技性 | 3 | 5項目以上 | |
Ⅷ | 自己愛性 | 3 | 5項目以上 | |
Ⅸ | 境界性 | 0 | 5項目以上 | |
Ⅹ | 反社会性 | 0 | 3項目以上 |
ここで、この本を参考に斎藤元彦知事を分析してみたいと思う。
パーソナリティー障害とは❓
「行き過ぎた考え方や行動の偏り」によって社会生活や家庭生活に支障を来した状態と言える。
性格の偏りにより、自分で苦しんだり周囲を苦しめる状態とされる。
本人は困っていないことも多いので余計に周囲は迷惑となる。
診断基準は、DSM-Ⅴ(米国精神医学会「精神障害の診断・統計マニュアル」の第5版)にその定義が述べられている。
いろんなタイプがあるが、正反対のものもあるが重複することもあり得るとされている。10のタイプが分類されている。根本的な共通点を把握することはこの疾患を理解することにつながる。健全なものとそうでないものとを見分けることができる。
疾患に共通する概念は三つ
- 傷つきやすい
- 自分に強いこだわりを持っている
- 愛しベた
対等で信頼し合える人間関係を築きにくい。人を愛すること、信じることへの障害につながる。自分に囚われているとされる。強い自分であったり、弱い自分であったり様々である。・・・つまり自己愛の障害に由来する。
自己愛の障害によって生じるもの
- 境界性パーソナリティー障害・・・自己愛が十分育っていない場合は生き続けることが困難となる。
- 自己愛性パーソナリティー障害・・・一方で自己愛が強すぎる場合である。
生き辛さをなんとか頑張って生きて行こうとする状態がパーソナリティー障害となって現れるとされる。
自己愛性パーソナリティー障害
特徴と背景
このタイプの人は、賞賛だけが欲しい人々である。
自分は特別な存在と思い込み、それにふさわしい華やかな成功をいつも夢見ている。
他人は自分に便宜を図ったり、賞賛し特別扱いするのが当然だと思っている。
見た目に華があり、注目を浴びる服装を格好良く着こなしている。
自己愛性パーソナリティー障害(DSM.Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders, 5th Edition. )
301.81「自己愛性パーソナリティ障害(Narcissistic personality disorder. NPD)」
「誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される」。1.自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
2.限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3.自分が “特別” であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係があるべきだ、と信じている。
4.過剰な賛美を求める。
5.特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)
6.対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。
7.共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
8.しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9.尊大で傲慢な行動、または態度
自分は特別の存在であると思う。途方もない特権意識は犯すベからざるものであり、そうでない者を蔑む傾向がある。
自分を賞賛してくれる取りまきを求める。賞賛こそ自分の活力源となる。
非難されると怒り出す。自分の非を認めようとしない。
人に教えられることが苦手である。自分を教える人間などこの世にいないと思っている。自信家に見えるが非常にもろい一面ももつ。
現実生活においては、子供のように無能で依存的である。
第一印象では魅力的で好感が持たれるが、付き合いが深くなると、身勝手で粗野な部分が露呈してくる。
このタイプの人は、対人関係において賞賛だけを捧げてくれれば良い大多数の人間と、現実生活においては無能力な本人の代行をし、身の回りにいて世話をしてくれる人を求める。そのような人を召し使いのように扱う。必要が無くなれば容赦なく捨てる。
他者の尊厳や人権を尊重することはほとんどない。他人は自分の都合や利益のために利用するものでしかない。
利用価値のない者はつまらないものとして捨てられる。
反社会性パーソナリティー障害に移行する場合もある。
妄想性パーソナリティー障害
特徴と背景
人を心から信じることができない。
常に裏切られるのではないかと思っている。
孤独で傷つきやすい。硬さと傷つきやすさがある。
恨みを執念深く抱き続ける。つまり、侮辱されたこと、傷つけられたこと、または軽蔑されたことを決して忘れない。
冗談が通じない。ねちっこく執着性が強い。柔軟さが通じない。
現実とはかけ離れた異常に強いプライドを持っている。
人との関係において、信頼関係や愛情を信じられないため人を権力や力で押さえつけようとする。
健忘術数を操ることに強い興味を持つ。
階級や地位に関心をもち、よって力で人を押さえつけようとする。
人間関係を愛情や信頼で理解しようとせず、上下関係や力関係で理解しようとする。
疑り深さと過度な秘密主義。個人的なことを秘密にしたがる。自分の過去や家族などについては決して語りたがらない。
権力者が陥りやすく、独裁者の病と言われている。(例:スターリン、フセイン)
自身の地位と権力を守ることが最大の関心事となり、部下を信頼できず有能な人物は去り、イエスマンだけが残る。
訴訟が大好きで必ず勝とうとする。法的な権力しか立ち向かうことができない。
このような人間に対して、戦おうと考えたり、説得しようとは考えない方が良い。
健常人がまともに戦える相手ではないのだ。戦えるのは、法的権力つまり国でしかない。
どんな手を使ってでも勝とうとする。
斎藤元彦知事は自己愛性および妄想性パーソナリティー障害を疑う
この一年間の兵庫県問題を眺めていて気がつくことは、彼が主として自己愛性パーソナリティー障害であろうと推測されることである。さらに、妄想性パーソナリティー障害の要素も持ち合わせているのではないかと疑う。
自分は決して専門家では無いので間違っているかもしれない。しかしである。
今起きている重大事態を捉える時にこういう見方も一方では必要だろうと思う。
専門家の意見をお聞きしたいところである。
学ぶとは
岡田先生のこの本の最後に『学ぶ』とはどういうことか❓と言う投げかけがある。
知識が全てでは無い。人の心の問題である。人間同士の信頼とか愛情とかが現代において最も問われている。
SNSでの誹謗中傷や炎上をみていると悲しくなるのは多くの人が感じていると思われる。
これからの世界が、パーソナリティー障害に振り回されることがないように願うばかりである。
かつて、学ぶとは『人としての道を修めること』であり、人格の陶冶することこそ学ぶ目的であった。
知識よりも心のあり方や身の処し方を、情報としてではなく、血肉として身につけるべく努力することが学ぶということである。
知識だけではなく、人格として鍛錬されているかどうかが問われている。
今、学問のあり方が問われている。人格の鍛錬と知識の習得が切り離されてしまっているのが現代なのだろう。
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