【黒澤明】監督の名作「生きる」が、70年という時を経て、2022年にリメイクされノーベル賞作家【カズオ・イシグロ】脚本による「Living」になった。
「生きる」は2回くらい見たと思う。志村喬演じる主人公が白黒映画の中で、もがき苦しみ、そして最後に思い切り生きた。その様を見た。雪の降る公園のブランコで「ゴンドラの唄」を歌うシーンは歴史に残る。流涙ものだった。
「生きる」が“死んだあとに始まる映画”だとしたら、「Living」は“死ぬ前を静かに見届ける映画”だと感じた。
英題について思うこと
「生きる」という題が、リメイクでは「Living」となっている。
「生きる」を見たときの感想は、哲学的な「人はどう生きるべきか?」という問いと感じていた。
それを表すなら、「to live」になるのではないかと思った。
しかしそうではないと感じた。「Living」は穏やかな日々の生き様が描かれているのだった。
題名の変化からで、【黒澤明】と【カズオ・イシグロ】の違いが浮かび上がる。
そう思って見ると「Living」はとても【カズオ・イシグロ】らしい作品になっていることがわかる。
ストーリーはほぼ同じだが、異なる描写
あらすじは、ほぼ共通している。
1)主人公(渡辺勘治、ウイリアムズ)は長年官僚機構で「ハンコを押すだけ」の人生を送ってきた課長である。
2)末期がんを告げられ、残された時間で何ができるかを模索する。
3)最終的に子どもたちの遊び場=公園/プレイパーク建設に人生の最後の情熱を注ぐ。
背景の比較
「生きる」
日本のある都市(おそらく東京)のお役者に務める公務員の話。1950年代日本。戦後日本社会への悲観が色濃い。
【黒澤明】は、“虚無の中でもがく日本”を描く。
「Living」
1950年代イギリス。戦後の福祉国家が立ち上がりつつある時期。ロンドン群庁舎を舞台に働く紳士達の姿。
【カズオ・イシグロ】は、英国的な「抑制」、「紳士的な無関心」と官僚制を重ねて描く。“揺れながらも前へ進むイギリス”を描く。
映像と音楽の比較
「生きる」
1952年制作のため白黒映画であり、冒頭のテロップも墨で書かれた力強くインパクトあるもので、【黒澤明】らしい。
白黒フィルムのコントラストが強く出ているので、より【黒澤明】らしさが現れていると思う。カメラは主人公にぴったり寄り添い、強烈なクローズアップが多い。そして、ダイナミックな演出、人間の感情を誇張して描く演技指導、人間の本質を描写する。
冒頭から、胃透視レントゲン写真が「進行胃がん」であることを写しだしている。
一瞬にしてこの物語の内容を物語る。
「Living」
トーンを落とした美しいカラー映像であり、光線の美しさから穏やかな優しさが漂う。1950年代ロンドンを淡い色彩で再現。パステル調の色と、紳士達のスーツ・ハット・二階建てバスなどのアイコンがノスタルジックである。カメラは主人公にぴったり寄り添い、静かなクローズアップが多い。素晴らしい映像で、カメラワークも見事である。しっとりとした音楽は心に染み入る。登場人物は、個性的で優しくて愛おしくなる人たちだ。
静かな語り口に、【カズオ・イシグロ】が窺える。
語り方と描き方の比較
「生きる」
二部構成となっている。これは、脚本家小国英雄の助言が大きいらしい。
前半:診断から迷走期までを、かなりじっくり描写する。
後半:渡辺の死後、葬儀の席での回想形式に切り替わり、同僚たちの視点で「彼は本当に変わったのか?何故、変わったのか?」が語られる。
官僚たちの自己正当化・記憶のねじれが黒沢流でブラックコメディのように描かれる。
「Living」
語り方は尺が短い分、直線的で整理されている。
回想のパートはあるが、日本版ほど長い「葬儀編」はなく、主人公に寄り添う視点が終始強い。
(ウィリアムズを慕う若手ピーター・女性社員マーガレットの視点が補助線になる)。
【カズオ・イシグロ】らしく、静かな対話や“少しのズレ”を通して心情が浮かび上がる構成となっている。
渡辺勘治(志村蕎)とウイリアムズ(ビル・ナイ)の個性
【カズオ・イシグロ】は、「生きる」を子供の頃にみて大きな刺激を受けたと言われる。この映画にあるメッセージを受けて生きてきたのだと言う。そして、映画好きの【カズオ・イシグロ】は、主人公を志村喬ではなく、小津安二郎監督作品によく登場する笠智衆さんが演じたらどういう映画になっただろうと思ったそうである。そして、笠智衆のような偉大な俳優が英国にいる。その、ビル・ナイさんを起用したそうである。
まさに、【黒澤明】監督、志村喬主演の「生きる」であり、【カズオ・イシグロ】脚本、ビル・ナイ主演「Living」なのである。それぞれがぴったりはまった映画になっていると思う。
「生きる」渡辺勘治
無表情・猫背・ほとんど喋らない、「影」のような男として登場。 志村喬が迫真の演技をする。
終盤、公園のブランコで「ゴンドラの唄」を唄うシーンは、涙を誘う。
家族(息子夫婦)との断絶がはっきり描かれ、「家庭の崩壊」も大きなテーマ。
「Living」Mr.ウイリアムズ
静かな英国紳士。誰もが一目を置く真面目な人柄。• ビル・ナイらしい英国紳士風の抑制された佇まい。黙っていても「孤独な上司」ではなく、「みんなが一目おいているが、近づきにくい上司」というニュアンス。若い女性部下マーガレット、転職してきた若手ピーターとの交流を通して、閉ざされた感情が少しずつほどけていく。 最後は、公園のブランコでスコットランドの民謡「ローワンツリー」を口ずさむ。
脇役のピーターも、若い女性マーガレットも素敵だった。若々しく、生き生きとした活力にあふれていた。
思いやりのある素敵で素直な若者達だった。
死とささやかな英雄性
どちらの作品も、主人公は世界を劇的には変えなかった。
人生の最後に成し遂げるのは、町の片隅の小さな公園だけだった。
それは、自己実現だったのか?それとも社会貢献だったのか?・・・どちらもそうであったと思う。
自己実現、社会貢献こそ「生きる」「Living」なのである。そう思う。
若者たちが“彼”の姿勢を見て何かを受け取る。→ 「ささやかな光は、確かに誰かに受け継がれる」のである。
〜光あれ〜である。
「他者からの評価」では無く、しっかり生きたという「達成感」が真の幸福につながるのだろう。
「生きてきて良かった、人生に悔いは無い。」と思えるのだろう。
救われた警察官
どちらも、最後のシーンで、若い警察官が現れる。
「Living」での警察官を紹介しよう!
Mr.ウイリアムズが手紙を託した新人、ピーター。彼が、例の公園を夜に見に行った。そこで、若い警察官に職務質問される。「この公園を作った人を偲んで見に来た」と説明したところ、その若い警察官は言うのであった。
あの夜、雪の降る夜に、Mr.ウイリアムズを見かけたというのである。見ていただけでひとことも話かけなかったという。「彼は、この地域ではとても有名人でみんな感謝しているという。」「声をかけるべきだった。職務怠慢だった。後悔している。」と悲しげに言うのだった。しかし、その姿は「あまりにも幸せそうで、邪魔をするのは悪い気がした。そのうち帰るだろうと思った」と静かに言うのであった。
ピーターは、微笑んで警察官に言った。
「Mr.ウイリアムズは末期がんでした。声をかけなくて良かったんですよ。邪魔しなくてよかったんですよ」と。
「あなたの言うとおり、彼は幸せだったんです。たぶん・・・人生で一番。だから、気にすることはないんです」と。
若い警察官は救われたのだった。
唄の比較
「生きる」 (1952)では— ゴンドラの唄、「Living」 (2022) では — The Rowan Tree(邦題「ナナカマドの木」)が唄われる。この比較をしてみたい。
ゴンドラの唄 作詞:吉井勇 作曲:中山晋平
1915年(大正4年)、芸術座で上演されたツルネーゲフ原作「その前夜」の劇中歌として松井須磨子が唄う。
いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
朱(あか)き唇、褪(あ)せぬ間(ま)に、
熱き血液(ちしほ)の冷えぬ間(ま)に
明日(あす)の月日(つきひ)のないものを。
いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
いざ手を取りて彼(か)の舟に、
いざ燃ゆる頬(ほ)を君が頬(ほ)に
こゝには誰(た)れも來(こ)ぬものを。
いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
波にたゞよう舟の様(よ)に、
君が柔手(やはて)を我が肩に
こゝには人目ないものを。
いのち短し、戀(こひ)せよ、少女(をとめ)、
黒髪の色褪(あ)せぬ間(ま)に、
心のほのほ消えぬ間(ま)に
今日(けふ)はふたゝび來(こ)ぬものを。
※歌詞の出典:1915年(大正4年)上演の劇『その前夜』の脚本より。
渡辺勘治の内側にある 「失われた青春」「消えゆく時間への切なさ」「人生への虚しさ/疎外感」 が象徴的に表現される。しかし、“生” を取り戻す/“生きる意味”を見い出す、その瞬間なのであろう。彼の人生の絶望と再生を映す“鏡” となっている気がする。
The Rowan Tree(邦題「ナナカマドの木」) スコットランド民謡で、メロディも静か
ナナカマドの木よ、
あの家のそばに立っていた
優しい木よ。
子どものころ、
その枝の下で遊んだ日々があった。
母の声が、風に混じって聞こえていた。
いま遠く離れてしまったけれど、
心が疲れたときには
あなたの赤い実を思い出す。
故郷の静かな丘、
家族のぬくもり、
失われても胸に残り続けるものたち。
ナナカマドの木よ、
あなたは私の心の中で
今もそっと揺れている。
Rowan(ナナカマド)の木は単なる木ではなく、変化する世界における強さ、癒し、継続性の象徴とされる。多くの神話と魔法にまつわる話があるとされる。荒れた岩だらけの崖の高所でほとんど不可能な場所で成長している一本のRowanに出会ったり、人里離れた場所に一人で立っていたり、誇り高く、回復力がある。初夏に白い花を咲かせ、秋に真っ赤な実をつける。
脚本を手がけた 【カズオ・イシグロ】の強いこだわりによって選ばれた唄とされる。民謡で、メロディも静か。
劇中でこの歌を歌うことで、ウィリアムズの“静かな覚悟”、そして“人生の残照”が、控えめに、しかし確かに浮かび上がる。オリジナル版の「叫び」と「再生」が、リメイク版では「静けさの中の再生」として描かれている。


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