ありがとう!ありがとう!
訪問診療(往診)は、NBM(narrative based medicine)と考えている。
A氏は、零戦乗りで特攻隊員であった。出撃直前に終戦となった。予科練の生徒だった。終戦後は放射線技師として働いてきた。子供達も家を出て、奥さんも亡くなり、独りになって大きなお家に棲んでいた。
ある日に、赤ちゃんを抱いた若い女性が診療所に訪ねてきて、『おじいさんが弱ってきて心配なので往診に来て欲しいんです。』という内容だった。時を同じくして、近くの総合病院の院長先生から、『近所の方が独居になって弱ってきているので往診をしてやって欲しい』と依頼されてきた。
そういう事で訪問診療が始まった。広い大きなお家で部屋がたくさんあったが、棲んでいる部屋は一つで台所の近くで他の部屋は家具や物が積み上げられて整頓もできていなかった。仏間だけはきれいに片付いていて大きな仏壇に奥さんの遺影が立てかけてあった。風貌を見て、「あ、”カールおじさんの空飛ぶ家”のカールおじさんそっくり」と思った。
食事はなんとか買ってきてもらった物を食べていたが、お風呂に入るのがしんどくて、便が思うように出なくて、『夜が眠れないので』と睡眠薬を希望されるのであった。『デイサービスは絶対いかない』と言われ、訪問介護と訪問看護と訪問リハビリ、訪問薬剤指導を導入してみていった。
口癖は、いつも『ありがとう!ありがとう!』だった。
だから、訪問するスタッフ達は熱心にみてくれた。しかし、片目が見えていないことに気がつき、眼科ではどうしようもないとのことで、独居困難となり息子達が説得してグループホームに入ったのであった。グループホームは訪問診療可能であるので主治医は継続して訪問診療を行った。日々の介護はグループホームでしっかりしていただいたので元気になられた。ホーム内の元気なおばあさんと仲良くなり、社交ダンスを上手に踊ったりもした。普段は寡黙であるのに、たいそう唄が上手だった。零戦乗りの頃の写真を見せてもらったことがあるが、それはそれは凜々しく若々しい軍人であった。
それから、時々1分間ほどのてんかん発作が出るようになった。抗てんかん薬を処方したが薬疹が出て使えなかった。発作があっても後はなんともないのでそのまま様子を見ている。新型コロナにも感染して入院されたが元気に退院されてきた。往診に行って声をかけると、まず『ありがとう!ありがとう!』と言ってくれる。介護士さん達も『いつもああやって言ってくださるので私たちもやりがいがあります。』と言われる。
うずまさ診療所からの往診は今日が最後だった。握手していたら、介護士が『先生に唄をプレゼントしたら!』と促してくれた。そしたら、大きなよく通る声で予科練の唄をたいそう上手に唄ってくれた。勇気と元気をもらった。感動の嵐が吹き抜けた。同行していた看護師にあっという間に写真を撮られた。それがこの一枚です。
外来患者さんの引き継ぎ
うずまさ診療所での往診も外来勤務もあと一月となった。
平成7年10月1日から勤務している。令和6年9月30日で退職するからちょうど29年間の勤務医生活であった。
何年もかかりつけ医として診てきた患者さんが多い。『なんで辞めるんや!まだ、元気やないか!』と叱られる。
『どこの病院にいきはるんですか? 私、ついて行きます!』などと言われると困る。最初は、「ただの爺さんになるんです。ゆっくりします。ここで、よく頑張ってきましたし。」と言っていた。
しかし、今は「10月から老人ホームに行きます。」と言っている。「特別養護老人ホームの医者になります。」と応えている。一瞬、妙な顔つきをされるがしばらくして『う〜ん、先生に合ってるかも!おめでとうございます!』と言われる。ほとんどが安定して元気な人が多い。不安定で気になる人は詳細な診療情報提供書を作成して紹介している。
肝臓専門医として診ている患者さんは、専門医資格がないと公費助成制度での処方ができないので、近くの肝臓専門医が開業されているクリニックに紹介することにした。この中には、B型肝炎の集積家系の家族親戚計4名もいる。昔は、同胞を肝硬変や肝臓癌で亡くしたりしていた。この家族の一人も腹水が貯まって初診されたが核酸アナログ製剤でHBウイルスが抑制され肝機能は正常化し非代償期肝硬変ではなくなり、食道静脈瘤も硬化療法で吐血することもなく治癒にもっていけた。当時は「仕事を辞めないといけない」と言っていた人が今は元気に働いている。しかし、これからも長く薬を続けなければならないので、長い経過をまとめていくつも紹介状を書かなければならない。
C型肝炎は抗ウイルス療法が進歩しすべての人がウイルスが消えて肝機能が正常となっているので紹介することもない。NASH肝硬変や糖尿病を合併して長い経過の人は総合力のある近隣の医療機関へ紹介することにした。
気になることはあるが・・・
長く勤めてきた病院、診療所であるだけに気になることは多い。しかし、自分がもう何かできるわけではない。
後は、地域に信頼される医療機関であり続けて欲しいと願うばかりである。
何より、【人を大切にして欲しい】と思うばかりである。
信頼してくれる患者さん、誇りをもって頑張っている職員を組織が大事に思って欲しいと思う事です。
武田信玄の【人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり】の言葉が組織の発展に何より重要と思うのです。
コメント