Audibleで村木嵐さん作「まいまいつぶろ」を聴きました(耳学)ので紹介します。
時代背景と家重の生涯
時は1711年、第8代徳川将軍吉宗(よしむね)に長男として生まれる。江戸赤坂の紀州藩邸で生まれる。幼名を長福丸(ながとみまる)と言う。出産時に臍の緒が首に巻き付き、仮死状態となったため、アテトーゼ型の脳性麻痺が後遺症となった。身体障害が残存したが、知性は保たれていた。右上下肢が特に不自由であり構語障害があった。しかし、教育は受けていたようである。
1716年徳川吉宗が8代将軍となったため、長福丸は5歳で江戸城に入る。その後、吉宗は跡継ぎの問題でずいぶん悩んだようである。家重には弟もいた。徳川家が安定していくことを最優先しなければ成らなかったからである。この頃に、ある運命の出会いが家重の生涯の友となる。この友が大岡忠光(ただみつ)であり、家重の口となったのである。そして、決して目や耳にはならなかったのである。
1727年、元服し名を家重(いえしげ)と改める。
1731年、20歳の時に京都伏見の皇族の娘(比宮なみのみや)と結婚するが、早くに亡くなる。その後、侍女の幸(こう)との間に男子が生まれ、非常に聡明であったため、吉宗は次の将軍にと考えた。後の第10代将軍家治(いえはる)となる。
1745年、第9代徳川家将軍徳川家重となる。しばらくは吉宗が大御所として政治の実権は握っていた。
1751年、吉宗が死亡し、名実ともに家重は将軍となる。側には忠光の他に、小姓から発掘した超優秀な人物がいた。それが田沼意次(おきつぐ)であった。15年間の在任期間に数々の功績を残していった。
1761年、忠光の後を追うように50歳で死去。
他の登場人物
田沼意次・・・紀州藩の足軽の生まれであったが、極めて頭脳明晰で記憶力がよく優秀であった。その才能を家重が見抜き小姓として側に置いた。第9代将軍家重と第10代将軍家治の側近として活躍した。経済観念に優れた政治手腕を発揮し、難題を解決していった。しかし、その後賄賂政治家としての暗い面も指摘されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/田沼意次
大岡忠光・・・家重の小姓として、仕えた。家重の不明瞭な言葉を唯一理解でき、かつ忠実に家重の口となり、眼や耳にはならぬように徹したため大きな信頼を得、異例の出世を遂げた。https://ja.wikipedia.org/wiki/大岡忠光
読後感想
徳川将軍にこのような人物がいて、周囲には彼を支える多くの優秀な人材がいたという話。驚きと共に感動を覚えた。日本がこのような人物達によって築き上げられてきたのかと思うと誇りがもてる。
史実に基づいた脚本であると思うが一流のエンターテインメントとなっている。
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