映画「Plan 75」をみて

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高齢化、希薄化する人間関係、そして尊厳ある最期とは。
『PLAN 75』のなかに見出した、失うべきではない「希望」の光。

「もうすぐ75歳」。そう呟く年齢になった今、この映画が投げかけるテーマはあまりにも重く、そして自分ごとでした。多くのいのちを見送ってきた医師としての視点と、一人の老いていく人間としての視点から、『PLAN 75』が問いかける「幸せな最期」「人と人のつながり」のあり方を考えます。

もうすぐ、75歳になる。
年々、衰えを感じる。これはどうしても避けられないと解っていながら、辛いものだ。

日本は、団塊の世代が75歳以上となり、人口の約5人に1人が後期高齢者となる「2025年問題」、高齢化社会まっただ中である。
多くの老人を診察し看取ってもきた自分も仲間入りだ。

目次

「Plan 75」とは

早川千絵監督作品。主演は倍賞千恵子。第75回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門でカメラドール(新人監督賞)のスペシャルメンション(特別表彰)を受賞。
75歳以上の高齢者に自ら死を選ぶ権利を保障・支援する制度が施行された日本の近未来を描いた映画である。

冒頭シーン

冒頭は、ピントがにじんだ美しいカラーシーンから始まる。穏やかなピアノ曲がラジオから流れている。
やがて銃声がし、何かが倒れる音がする。そして、転がって車輪が空回りする車椅子。散乱したタオルやスリッパなどが映し出される・・・。
血だらけの両腕でライフル銃を持った若い男が現れる。殺人現場のシーンなのだった・・・。
男は手についた血を洗い、遺書を読み上げる。

増えすぎた老人はこの国の財政を圧迫し、そのしわ寄せをすべて若者達が受けてい。老人達だってこれ以上社会の迷惑になりたくないはずだ。・・・国のために死ぬ考えは、この国では美徳とされている。日本人は誇り高い民族だからだ。私のこの勇気ある行動がきっかけとなり、皆が本音で議論し、この国の未来が明るくなることを心から願っている・・・・・

と結び、ライフル銃で自殺する。現場は高齢者福祉施設のようであった。
これは、2016年に起きた「やまゆり園事件」を思い出すのだった。

その直後に、ピアノ曲が終わり、ラジオ放送が「プラン75」が国会で可決されたこととニュースを伝える。
「75歳以上の高齢者が死を選ぶ権利を保障し、支援する制度・・・通称PLAN75」と述べる。

その後のシーン

その後も、カラー作品ではあるが何故かモノクロ映画と感じてしまうのだった。
淡々とまるでドキュメンタリーのように、生活、役所、職場、求職活動、友達との交流、友人の孤独死、コールセンターとの電話、遺体処理作業のシーンと続く。ボーリング場のシーンは明るくカラーが溢れる。
しかし、一転、カーテン越しに酸素マスクをし横たわった老人・・あれは施設での安楽死シーンなのだろうか?  
示唆的で淡々と映像が進んで行く。
コールセンターでは、「PLAN75」を中止しようと考える人を思いとどまらせるように誘導しましょうと担当者に教えているのだった・・・・

主人公角谷ミチ78歳を、倍賞千恵子が演じる。一人暮らしの老人を淡々と演じている。
あの「男はつらいよ」の寅次郎の妹さくらが、老いてそこにいた。

これ以上はネタバレになるのでやめておこう。
以下はこの映画を観て感じたことを綴ることにする。

移りゆく時代

時代は移りゆく。今日のニュースでは「結婚を考えない若者達が増えている」ことを伝えている。
少子高齢化は今後もさらに加速していくのだろう。
「核家族」とはもうずいぶん前の言い方だろう。すでに家族の絆が薄らいでいくのは当たり前になっている。
果たして「核家族化」は良かったのだろうか?失った物の大きさはどれほどだろう?
盆と正月に顔を合わすのはまだましな方だろう。墓じまいが進み、家族葬や小さなお葬式が増えた。
老人ホームが増えた。老人は一人暮らしが困難になり、老人はペットが飼えにくくなってきた。

75歳の自分が思うこと

健康寿命が長く続いて欲しいと願っている。
しかし、自分の脚で歩けなくなったり、一人で用を足したり、食事ができなくなったら、生きていたいとは思わない。
一時的に堪えれば、また元のように自立できるのであれば我慢もしようが、さらに衰えて行くならば生きていたいとは思わない。口から食べられなくなったらそのまま逝かせて欲しいと思う。
そして、自分が誰だか解らなくなったり人と話せなくなったら生きていたいとは思わない。

そうなったら、延命は希望しない。正直に、自然史・衰弱死を希望する。安楽死を望む。

医師としての視点

多くの看取りを経験してきた医師として思うことは、個人の意思を最大限尊重したい。
人の生死を法律で決めるべきではない。人それぞれである。
揺れ動く気持ちを関係者で話し合っていく、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)いわゆる人生会議を進めて行くのが適切だと思う。

個人主義と人間関係

しかし、かかりつけ医や介護者、家族を持たない人々が多くいるのが現実であって、理想的なACPがなされていくのかは大いに疑問である。死が差し迫ったがん患者や終末期であれば適切にACPが行われていくのだろうが・・・。

個人主義が基本となり、「自己責任」と言われがちになり、家族関係が希薄になった日本では、人と人の関係が薄らいできて、これが大きな不幸の原因となっている気がしてならない。

認知症を考慮する

この映画の中の老人には認知症がない。これが事実とは異なる。
認知症が出てきて、混乱の極みにある人々の問題はさらに難しい。
自分で意思表示ができないのだ。もう認知症になってしまっては意思確認ができないのだ。
そういう時に、どうするか?一人暮らしならなおさらだ。

認知症出現前に意思表示しておくことを真剣に考えねばならないと思う。それには個人任せにはできない。
社会全体が支え、変わらなければならない。

直接死因から考える

純粋な狭義の老衰死は少ない。
現代の医学では何らかの異常を見つけ出し、それを治療してしまうことができる。
しかし、それに伴う検査手段などは侵襲があったり、高額であったり、衰弱者に倫理的に行うべきかどうか?という問題がある。また、予後改善に意義があるかは疑問であり、決定は誰が行うか?という問題がある。
超高齢者に、高度認知症者にどこまで医療は関わるべきかという大問題を解決する必要があるだろう。

マリアに教えられる

外国人労働者マリアの存在から見えてくることは非常に大切なものがある。
日本が失ってきたもの、見習うべきものがそこにある。
家族との絆、助け合いの精神がそこにある。人と人のつながりがいかに大切で失ってはならないものなのかを気づかされる。

ヒロムや瑶子にみる希望のともしび

この映画では、役所に勤め「PLAN75」の行政に携わる若者岡部ヒロムが「これでいいのだろうか?」と自問自答しもがく姿がある。
「PLAN75」に同意した老人の心のケアを担当する若者成宮瑶子が「これでいいのだろうか?」と表情を曇らせ、涙するシーンがある。
・・・・いったい、大切なものはなんだろうと。
老いが、死が、充実してハッピーエンドになれるのはどうすれば良いのか?と考えさせられる。
そこに希望の灯火が見えてくる。

幸せな最期を迎えるには

  • 医療に過度に依存しない
  • 住み慣れた場所で暮らす
  • 孤独でいてはいけない
  • 周囲に自分の意思表示をしておく

過度に医療に依存せず、住み慣れた場所で自然な形で死を受け入れることだろう。
その前にきちんと周囲に意思表示しておくことが必要だろう。
そして社会が、互助社会になっていくことだろう。
町内会をはじめとする地域社会での助け合いを大切にしていくことだろう。
人間の幸せは人と人のつながりの中にこそある。
家族こそ、その中心であるべきだろう。核家族化を反省するべきだろう。
国、自治体、企業など社会全体が人間関係のあるべき姿を意識して行動し、人類の幸せを中心に考えるべきだろう。
そうすることが、結婚に希望を見いだせない若者を減らすことができる。
子供が明るくすくすくと育つ社会ができあがるのだろう。それを見つめる親の生きがいが見えてくるだろう。
幸せな最期を考え行動することは、幸せな誕生を心から喜ぶことにつながっていくと信じる。

人類の目指すべき目標

人類の目標は、気候変動を最小限にし穏やかな地球環境を取り戻すことに英知を集約すべきだろう。
そして、戦争を無くすことだろう。
人の心を大切にし、人と人のつながりを大切にした地域社会を形成するよう努力すべきだろう。

そうすることで人類は幸福になれるだろう❗
生まれ育てる喜び、老いた者を幸せいっぱいに送り出すような社会ができるだろう❗


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この記事を書いた人

⼩宅 映⼠(おやけ えいじ)
趣味は、テニス、写真撮影、音楽鑑賞など

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